宇城市議会 2015-03-06 03月06日-03号
明治32年、九州鉄道により三角線が開通をしたことにより、大正から昭和にかけ東港が整備をされました。昭和26年に重要港湾の指定を受け、世界に向け貿易港として発展を続けてまいりました。昭和39年に三角・島原の国道57号をつなぐフェリーが開通をいたしましたが、昭和41年、天草五橋が開通したことにより、徐々に貿易港としての機能も衰退してまいりました。
明治32年、九州鉄道により三角線が開通をしたことにより、大正から昭和にかけ東港が整備をされました。昭和26年に重要港湾の指定を受け、世界に向け貿易港として発展を続けてまいりました。昭和39年に三角・島原の国道57号をつなぐフェリーが開通をいたしましたが、昭和41年、天草五橋が開通したことにより、徐々に貿易港としての機能も衰退してまいりました。
JR玉名駅の歴史は今から117年前、明治24年、1891年、高瀬駅として当時の名称ですが、九州鉄道として開設された。いろいろ変遷を経て1907年、次には帝国鉄道庁が所管する国有化された。次に1956年、昭和31年つまり当時の、今は旧玉名市となりましたけれども、昭和の大合併によって高瀬駅から玉名駅に改称された。
三角町の繁栄の始まりは、明治20年8月に開港した三角西港の誕生及び港の開港から遅れること10年余り、明治32年12月に門司港と三角港を連絡する九州鉄道が開通したときからであります。港の開港と鉄道の開通がその後の三角地域の発展の大きなけん引車であったことは、三角の住民はもとより三角町を知る人々の多くが認めるところであろうと思っております。
JR上熊本駅は、明治24年に九州鉄道が開通し、池田駅としてスタート、現在の駅舎は大正2年に建てられました。明治29年4月13日、旧制第五高等学校の英語教師として夏目漱石が赴任され、最初におり立った駅であります。 上熊本駅前には来熊100年を記念して夏目漱石の立像が建設されています。
JR上熊本駅は、明治24年に九州鉄道が開通し、池田駅としてスタート、現在の駅舎は大正2年に建てられました。明治29年4月13日、旧制第五高等学校の英語教師として夏目漱石が赴任され、最初におり立った駅であります。 上熊本駅前には来熊100年を記念して夏目漱石の立像が建設されています。
そして、当時の九州鉄道が我が八代にたどりつき、ここに球磨川駅の歴史的誕生を見たのが明治29年11月21日でございまして、鉄の車が吐く黒い煙によってすばらしい文化がもたらされ、郷土八代にもようやく近代の夜明けが告げられたのでございます。
そして幾多時代の変遷の中に時は流れまして一千年、すなわち明治二十四年に九州鉄道が開通いたしまして春日停車場が開設され、熊本交通の基点として名実ともに熊本の玄関口と相なったわけでございます。
そして幾多時代の変遷の中に時は流れまして一千年、すなわち明治二十四年に九州鉄道が開通いたしまして春日停車場が開設され、熊本交通の基点として名実ともに熊本の玄関口と相なったわけでございます。